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経済・産業政策が隆盛の時期であった。日本の新保守主義的な政策は、アメリカやイギリスに比べてトラスティックな形ではあらわれなかったけれども、民間活力による経済の活性化と経済効率重視、自立自助の推進、ならびに財政支出の抑制をはかった臨調行革路線が打ち出されたことは記憶に新しい。また、この時期には、「重厚長大から軽薄短小へ」、「ソフト化、サービス化社会の到来」という言葉に示されるように、新技術革新がすすみ、これまでの石油多消費型産業構造が大きく変化し、先端技術産業が隆盛になっていった。 先端技術産業は、重化学工業とは異なって拠点開発型ではなく、地域分散型が可能な産業といわれている。そこで、北海道・東北地域のこの時期の開発は、つぎの3つに重点がおかれた。?@テクノポリスの建設と新幹線等の高速交通体系の活用による先端技術産業の誘致と地域産業のハイテク化の推進、?A地域経済の自立化を目指した地域産業おこしの推進、?B国際競争力の喪失により疲弊した地域の産業構造の改善である。そして、1983年には「テクノポリス法」が制定され、北海道・東北地域では合計9地域(道央、函館、青森、北上川流域、仙台北部、秋田、山形、郡山、信濃川)が地域指定をうけることになった。また、1984年には、ニューメディア・コミュニティ地域指定が、翌85年にはテレトピア地域指定がそれぞれ行われ、北海道・東北地域はどちらの地域指定においても、19地域が指定された。 そこで、この時期の北海道東北開発公庫の業務運営は、?@先端技術産業の誘導と地域におけるニューメディアの利用促進等による地域産業のハイテク化と情報化の促進、?A高速交通体系の利・活用の促進、?B「地域とともに考え、地域とともに歩む」の実践強化(企業誘致活動、プロジェクト起業化の誘導助言、地域開発戦略に対する提言活動等)に重点がおかれるようになった。この時期は、地域重視をはじめた第3期と比べてみても、より一層地域重視の姿勢がよみとれるのである。このように業務運営の重点が移っていくなかで、北海道東北開発公庫はさらにつぎのような地域重視の業務を開始している。「北海道東北を考える21世紀展望研究会」ならびに「冬の北海道観光を考える会」の発足(どちらも1982年)、「地域指標ハンドブック」の創刊(1984年)、「地域情報センター」の外部公開開始(1984年)、調査部の開発企画部への改組(1984年)、「季刊ほくとう」の創刊(1986年)等である。このうち、調査部の開発企画部への改組は、地域対応方針の策定、地域プロジェクト起業化支援体制の強化を目的として行われた。ともあれ、北海道東北開発公庫は地域密着型のソフト化路線を、この時期により一層つよめたのである。
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